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父は世の中をこう見ていた   プロローグ

なんで書くのか

世界を回って、「やっぱり日本が最高だな」っていう結論には、たどり着いてる。
でも、日本にも、どうしてもイヤだなと思う空気がある。

あおり運転、ネットの袋叩き、
メディアに流されて、多数派につきたい感じ。
有名人や専門家の言葉、ネットに書いてある情報を「正解」だと思い込んで、
とりあえずそっち側に回って、少数派に石を投げる感じ。

あれは、偽りの安全圏。
インスタント安全圏。
一時的に守られた気になるけど、時が経てば崩れる。
居場所を失って、遊牧民みたいにまた別の安全圏を探す。
そんな遊牧民が、嫌い。

たぶん、みんなどこかで飢えてる。
というか目線がせまい。目線が低い。
この美しい地球に生まれて、
命っていう奇跡を授かって生きているのに。
もっと深くて、あたたかくて、格別な喜びに触れられるはずなのに。

安易な答え、安易な正義、安易な快楽――
そんなもんじゃ、たどり着けない。
答えなんかないことが多いし、未来なんか誰にもわからない。
わかったふりしてるやつ、わかった気になってるやつはやまほどいるし、
その信者もたくさんいる。
自分で考える習慣、本物の思考がないからだ。


20代のころ、社会がまったく見えてなかった。
ニュースを見ても、本を読んでも、よくわからなかった。
「社会の真実を知りたい」って、ずっと思ってたのに、
どこを見ればいいのかもわからなかった。
だから動けなかった。
社会に出るのが怖かった。

その感覚は、今でも忘れない。
同じような気持ちで立ち止まってる若者を見ると、助けたくなる。


ただ、自分の得意な分野――
いまなら塾とか、サーフィンとか、
そういうフィールドになると、本質はちゃんと見える。

ニュースやSNSを見ても、
「これは違うな」「これは本当だな」って、感覚でわかる。
これはきっと、人それぞれに得意分野があると思う。

偏った報道や空気に流されずに、
ちゃんと自分の目で見て判断できる。

そういう“目線”は、育てられる。
だから今、自分の中のそれを、もっと育てたい。


ウソがきらいで、本音じゃないと生きてこれなかった。
うまくいかないこともあったけど、
でも、濁らずにここまでこれたことは、誇りに思ってる。

おれは、本物にたどりつきたい。
そして、本物でありつづけたい。
常に地球目線で地球を感じて生きていたい。

自分の目で見て、考えて、決めた人間にしか、
味わえないものがあると思う。
だから、そこに行きたい。


これはその練習。
観察して、考えて、本質を外さないようにする練習。
せまい世界に飲まれず、もっと大きな地球の法則を感じて、生きていくための準備。

いつか、
こどもたちがこれを読むときが来る―
そのときに、なにかひとつでもヒントになればいい。
そう思えたら、お互いにちょっとおもしろいし、幸せ。

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